■去年から寝かせておいたネームを読み返してみた。
10年前から描こうとしていた悠久幻想曲・トリーシャの物語だ。

●上の写真は冒頭20ページのうち、7,8ページ目。
自賛になってしまうけれど、これ・・・ちゃんと描いたら本当にイイ作品が出来ると思う。
去年描いたネームはほんの冒頭20数ページ分しかない。
10年前もその当時出来るだけネームを描き、また、実際に描き始めていたが、己の画力の未熟さなどから断念し、より腕が上がってから…という事で、他の作品を描くなどして画力アップを目指していた。
■今日、1年間寝かしていた20ページのネームを繰ってみて、「続きはどうなるんだ!?」と自分自身でさえ純粋に続きを読みたい衝動に駆られた。
この10年間、睡眠時には必ずと言ってよいほど、場面を想像しながら次の展開を頭の中で描き、また反芻した。 結果、もうすでに数年前の段階で物語に整合性が取れるようになっていた。より物語に深みを増すシーンやエピソードも思いついてた。
今日、1年前に描いた20ページ分のネームを読んで、これは本当に良い物が出来上がるのでは・・という期待感が沸いた。
■しかし、それを形にするだけの自信と余裕、そして気力と体力が、今現在自分にはまったくない。
鉛筆を握り、真っ白な原稿用紙に向き合った途端に、己の未熟さを痛感する。
この2,3ヶ月間ずっとその繰り返しだ。
この悪循環は他の作業にも影響を及ぼした。
昨夏に発行した「長門有希の場合ver.2」。
これに本文の加筆および巻頭4ページカラー化とパワーアップさせて「ver.3」を出来るだけ早く発行したかったが、ずるずるずるずると、こんにちまで発行は延びている。
原因の一つとしてHDDがクラッシュしたことで心が折れてしまったのも大きいが、それもひっくるめて、「自分の不甲斐なさ」に打ちのめされ、この1,2年ほどはペンを取ること自体が怖くなってしまった。
自分の理想とするラインにまで自分の描く絵が辿り着けない。
そんな焦りから線が乱れ、また、焦るあまりに時間をかけて線を描くことが非常にまどろっこしくなり、線が荒れていく。
焦っても良い結果は生まれないことは頭で分かっていてもなかなかうまくいかない。 うまくいかないからまた焦り・・。
そんなスパイラルに身を投じてしまった結果が、ここ5年間ほどの自分自身だ。
■描きたい物は山ほどある。
10年前から描き続けているトリーシャの物語しかり、
数年前から描き始めている「涼宮ハルヒの憂鬱」から長門有希の短編モノで、まだ描きたいモノがある。
そのほか、4,5年前から注目し買い続けている萌え4コマについて、まだほとんど手が付けられていない分野で、温め続けているネタがある。 これにもいつか・・・いや、できるだけ早いうち、それこそ今年中にチャレンジしたい。
ただ、焦ってはいけない。 一歩ずつ確実に歩を進めていかなくてはならない。
それを再度肝に銘じなければ、良い結果を生み出すことは出来ない。
今日1年前に書いたネームを読み返した。
“続きを読みたい”
“まだ描きたい”
そう心から思っている自分が、まだ存在していた。
それを原動力として、今年の後半戦に臨んで行きたいと思う。